2020中学受験の記録<首都圏男子>

低学年は家庭学習、五年生から通塾して、2020年には御三家中学を受験?!
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国語力を高めるには 1 ~家庭内の会話で育めるものも結構ある

家族団らん

国語力とは何だろう?


国語力とは一体どんな力を指すのでしょう。

試しに「国語力」でググってみると、いろいろな人がいろいろなことを言っているようです。ここでは国語力の定義をするのが目的ではないのですが、これから考えてみたいポイントについて最初に絞っておきたいと思います。極めて私見ではありますが、国語力とはコミュニケーション能力のかなりの部分を構成する要素だと思います。人間見た目が○%などという非言語的コミュニケーションが話題になりますが、そのこと自体が逆にコミュニケーション能力に占める言語力・言葉の力の重要性を示しているのではないでしょうか。以降は、この日本語という言語を操る力という意味で、大ざっぱではありますが ①理解力(読解力) ②表現力 ③思考力の観点で考えていこうと思います。

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まずは、①理解力(読解力) ですけれども、言われていることが分かる、書かれている内容が分かる、少し発展して直接的な理解にとどまらず、その背景にある事情や感情などを理解する、というようなことをイメージしています。聴力や知的能力に特に問題のない場合であれば、多くの子どもは自然に母国語を身に着けます。多少の早い遅いはあっても、子どもが一通りの会話ができるようになると、多くの親は安心してしまうものですよね。けれども、本当はそこからがむしろ大事なのではないか、と最近思うのです。

主人と私が、家庭内での息子との会話に関して、意識的に心がけていることがいくつかあります。第一に、子どもの話は傾聴すること。時間がないときでも、あとで聞くね、と一旦保留しあとから忘れずにフォローすること。第二に、子どものお手本となるような言葉づかいをすること。多少、難しい語彙であっても必要があれば使って話をすること。第三に、単語だけとか要領を得ない話を息子がしてきた場合には、誰が? とか 何が? とか聞くことで、話し言葉ではあっても、きちんとした文で話せるように導くことです。当たり前のことばかりで申し訳ありませんが、意識して取り組んでみると、意外と骨の折れることに気付くと思います。今のところ、息子は国語の読解も算数の文章題も得意なようではありますが、まだまだ2年生を終えたばかりですし、その効果については何ともいえないところです。が、少なくとも親の努力は続けていくつもりです。

言語の習得における耳からのインプットの重要性


少し話が逸れますが、私は仕事の都合で耳の不自由な人たちと多く接する立場にあります。そこでいろいろ見聞きしたことから、耳からの入力や対話が言語の発達に果たす役割について考えるようになりました。耳の聞こえない人には、生まれつきの場合(先天性失聴者)と、ある程度成長してから聞こえなくなった人(中途失聴者)がありますが、先天性失聴者にとって、言葉を身に着けるというのは非常に大変なことなのだそうです。これは低年齢児が言語を身に着ける場合に、いかに耳からのインプットが重要かということを示しているのだと思います。

最近、いろいろな場面で語られる「9歳の壁」ももとは、聾児の教育に関していわれ始めた言葉でした。9歳以前は、教育の工夫によって聾児も健常児と同じように発達していくことができるが、概ね9歳頃に学習の壁につきあたってしまうというのです。ちょうどその頃までに読み書きを習得して、以降は情報の取得も書き言葉が中心となり、内容もより高度で抽象的なものを扱うようになります。聴覚障害者は助詞や副詞の獲得が困難なため、書き言葉への移行が難しくなりよって学習のレベルもそこにとどまってしまうということのようです。(現在では、適切な働きかけにより、先天性聴覚障碍児の書き言葉習得は十分に可能なことが分かってきています。)

話し言葉からのインプットと書き言葉からのインプット


9歳の壁は健常児にもあてはまって、9歳くらいを境に、話し言葉から書き言葉への移行とともに、学習の内容が即物的・具体的な事柄だけの世界から、概念的・抽象的な事柄を扱うようになっていくため、そこで学習に躓いてしまう子が多いといわれています。一見、日本語力には差がないように見えても、実際にはその年齢までの話し言葉を中心としたインプットによる理解力の差異があって、それが扱う内容の難しくなるタイミングで一気に顕在化するようにも思えます。聴覚障害児の例は少し極端ではありますが、このようなことからも、一般的には耳からの入力や対話によるフィードバックで小学校低学年くらいまでの間に理解力の基礎が育ち、その後、文字による入力でそれを育てていく、というような発達のモデルが想定されるのではないでしょうか。

よく読解力アップの秘訣といえば読書が挙げられます。私はこれに100%賛成で、それについてはまた後でまとめたいと思いますが、一方で、読書が好きでも読解力がないとかいうお悩みもしばしば見かけるものです。逆に、ウチの子はあまり本を読みませんが読解力はありますよ、という話も意外によく聞きます。耳から入る両親の会話も、本から入る文章も、どちらも情報のインプットです。ですが、家庭内の会話で基礎の理解力が育っていないと、いくら本を読んでも字面の理解にとどまってしまう場合があるのかもしれません(=本が好きなのに理解力がない)。 一方、本は読まないけど国語の読解はよくできるというケースは、会話からのインプット中心でもある程度基本の理解力は高められるということなのだと思います。

実際、学校の先生や塾の先生、家庭教師の先生などが、子どもの国語力は家庭の国語力といっているのをよく目にします。「子どもの保護者と話すと、その子どもの国語力がすぐ分かってしまう」そうです。親からすると怖い話ですが、我が家で心がけてきたことも、あながち間違ってはいなかったようで、ほっとしつつも、身の引き締まる思いがしました。我が家の会話が、国語的に模範的であるかについては、はなはだ自信がありませんが、すくなくとも心がけている方向は間違ってはいなそうです。反抗期や思春期にはまだ間のある3年生、まだしばらくは親子での会話を楽しんでいきたいと思います。なお、こうして書いてみたら、我が家の会話がまるで口頭試問みたいな感じに聞こえそうですが、実態はもちろん家族団欒、楽しくお喋りしているだけです。

普段ぼんやりと思っていることを、いざ文章で説明しようとしたら、思いのほか長くなってしまいました。次回は、表現力について考えてみたいと思います。(こんな私を表現力に乏しいと責めないでください 笑)

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[ 2016/03/31 18:00 ] あれこれ考えたこと | TB(-) | CM(0)
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