2020中学受験の記録<首都圏男子>

低学年は家庭学習、五年生から通塾して、2020年には御三家中学を受験?!
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国語力を高めるには 2 ~話す技術と書く技術は学ぶことができる

文字を書く

表現力はアウトプットの力


国語力を高めるというテーマで、前回、①理解力、②表現力 ③思考力 に分けて考えていこうと定義しました。前回の記事から、少し間が空いてしまったのは、この表現力という分野については、我が家もまだ試行錯誤中の部分が多いからです。

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「理解力」がある意味、受け身なのに対して、「表現力」は自分からアウトプットしていくという意味で、順番としては通常、「理解力」を前提とした次の段階になります。ものすごく単純化していえば、子どもは赤ちゃんの時、親や周囲の大人の言葉による働きかけに対して、徐々に分かる様子を見せ始め、それからしばらくして、自らも言葉を発し始めるという順番で発達してきたことと思います。つまり、敢えて詳しくふれませんが、「表現力」を高めるためには、ある程度のインプットが必要であるということは言うまでもありません。そのインプットというのが、前回触れた親子の会話などの耳から入るものであり、また、書物等の活字から入るものでもあります。

さて、その「表現力」といっても、大きく話す力と書く力の二つが考えられるでしょう。そしてその両方に共通する土台のようなものとして、意味の通る文や文章を作るという作文力や構成力があります。今回、「表現力」として考えていきたいのは、そういうアウトプットの能力です。実際にはその先に、たとえば話す力であれば、プレゼンテーション能力につながるような見せ方やテクニックもあると思いますが、それらは、ここでいう「表現力」とは少し別ものであると思っています。特にこれからの国際社会の中でますます重要となってくるところですし、未来を生きるわが子に身に着けさせたい力ではありますが、今は、まずその土台となる、伝えたいことをきちんと表現する力というものに、焦点を絞っていきます。

同様に、書く力についても、欲をいえば言葉選びのセンスだとか、その人特有の文体だとか、そういった文学的な魅せる要素をいかに育てていくのか、というレベルの話もありますが、まずはここでいう狭義の「表現力」のもとに育つものだととらえています。(あくまで、ここでの定義です)

書くことによって話の構成力を高める


小学校低学年の文章は、いわゆる話し言葉と書き言葉での乖離はそれほど見られません。つまり、まずは、伝えたいことに対して文や文章を作るという作業は、話し言葉にてなされていると考えてよさそうです。ただし、話の構成とかそういうことを考えていくというレベルになると、むしろ書くことで推敲が可能になったりするし、またある程度の原稿をもとに話をする方が、即興でお話をする場面よりも、一般的には難易度が低いという意味では、話の構成力は、むしろ書くことによって伸びていく面もあるように感じます。

さてさて、では、この作文力を高めていくにはどうすればいいのでしょうか?ここについては、息子がまだ3年生になったばかりということもあり、むしろこれから本格的に始まってくる分野なので、小学校でどのような指導がなされるのか興味津々なところであるというのが本音です。ただし、自分世代が学校で受けた指導や、息子の英語教育にあたってアメリカでの作文指導の手順等を調べたりした内容をもとに、現時点で心がけていきたいと思っているところをまとめておきます。ポイントは、①数をこなすこと ②型を身に着けること に尽きるかと思います。

①数をこなすこと


まずは、とにかく数多く話させ、書かせることが必要です。話すの部分でいえば、いかに息子の話を聞いてやるかですよね。子どもの話ってなかなか要領をえないわけですが(きちんと、筋道だてて話せるお子さんもいらっしゃるとは思いますが、少なくともうちの子は、まだまだです)、それを辛抱強く聞き、質問をしたり、(こういうことがいいたかったのね的に)言い換えやまとめをすることで、まとまった話をできるようにする。アウトプットの練習、かつ見本のインプットということになります。ここは、平日は一緒に過ごす時間が限られるので、我が家ではかなり意識して取り組まなければならないところです。また、私も、時々疲れていたり面倒くさいときに、きちんと考えないで話してしまったりするのですが、慎まないといけないですね。さらに、たくさん書くということでいえば、我が家では明らかに十分足りているとはいえません。

少し論点を変えて、アメリカの作文指導について調べて分かったことなのですが、まずアルファベットが書けるようになったら、とにかく量を書かせることにフォーカスするというのが常道なようです。日本語と違って、綴りは英語の方が(音と文字が一致しないので)難しい面もあるので、そのあたりのチェックはあまり厳しくせず、書くことに慣れさせる、書く楽しみを覚えさせるという方針とのこと。これと、息子の1・2年生の国語での作文指導とを比べてみても、同じように思います。先生の赤ペン指導も、習った漢字は使いましょう、とか内容に対するコメントが主で、文や文章の構成に関する指導はありません。

量を書かせることの大事さ、ということでいうと、主人の小学2年生のときの「あのね」ノートを見て思ったことがあります。主人の実家はそれほどスペースの広いところではないので、子どものときの作品などは、ごく一部のものを除いて残ってはいないのですが、この2年生の時のノートは、お義母さんがどうしても捨てられず5冊ほど残しておいたものです。主人が小学2年生の2学期と3学期の時にほぼ毎日書いたもので、担任の先生からの赤ペンも毎日入っています。その半年間の推移を見ると、最初と最後では内容も構成も明らかに進歩しています。日記なので、内容に対するコメントは入っていますが、いわゆる文章としての直しは一切入っていません。それでも、やはり毎日書くことで、明らかに文章も長くなり、またこなれてきているのが分かります。

今年最初の保護者会で、宿題として、漢字・計算のほかに自主学習ノートが配られるという話がありました。自主学習は自由課題なのですが、日記でもいい、みたいな説明がありました。逆にそれ以外の内容は結構足りているので、ここは、我が家では作文にあてていくように誘導していこうかな、と思っています。また、家族旅行などの際に、さりげなく記録をつけることを促してみるのもいいかもしれません。

②型を身に着けること


量をこなすこと、とあわせて重要なのではないかと思っているもう一つのポイントは、型の指導です。これは、アメリカのライティング指導の要諦を見て、個人的には非常に目新しく感じました。私たちの小学校時代の作文指導のときって、感想や思ったことを自由に書く、という感じで、それほど文章の型は教わらなかったと思うのです。けれども、アメリカでは、自由作文ではなくて、お手本となる文章が示されて、その文型を踏襲して、極端にいえば単語をちょっと入れ替えて文章を作っていくようなところから、作文練習が始まっています。(専門的にはモデルライティングmodel writingというようです。)

たとえば、家族について書いた文章(見本)があって、それをほぼそのまま使いながら、名前や年齢、職業を入れ替えれば、自分の作文ができるようなイメージです。ほかにも、ブックレポートや、何かのやり方について書く、みたいなテーマでやはり同じようにお手本が示されて、それを真似して文章を書いていくというやり方です。オリジナリティや、独自の視点みたいなものは、もちろんあっていいと思うのですが、まずは、誰でも書く内容に困らないような指導法なのだと思います。

唯一、私が日本の学校で習った型として思い当たるのは、序論・本論・結論と起承転結くらいですかね。これも一つの型としてはありだと思いますが、学校では結論は最後にと散々教わってきたのに、社会に出るといきなり結論を最初に、などというのもおかしな話で、いろいろな型を本来身に着けておくべきでしょう。ただ、私が文章の型といっているのは、それよりももっと細かい実際的な文章構成のパターンのことなのです。現在の日本の小中学校での指導は分からないのですが、Z会の国語などで時折、たとえば「何かのやり方についての説明文を書きましょう」、とか「はじめに、つぎに、さいごになどの言葉を使って文章を書きましょう」みたいな感じで、先ほどのアメリカの例に似たようなステップで誘導しているものを見ました。

したがって、もしかしたら、私より若い世代の人たちはそういう指導を受けたのかもしれませんし、また、これから息子の学校でもそのような指導が行われていくのかもしれません。なんだか面白みのない作文指導にも思えますが、基礎として確実な文章力をつけるには最適な方法なのかもしれません。 今後の、小学校での作文指導に要注目です。

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[ 2016/04/28 18:00 ] あれこれ考えたこと | TB(-) | CM(0)
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